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辛いだろう。悲しいだろう。悔(くや)しいだろう……。しかし、これも、すべて御仏意(ごぶつい、仏の心。仏の采配)だ。きっと、何か大きな意味があるはずだよ。
勝った時に、成功した時に、未来の敗北と失敗の因(原因)をつくることもある。負けた、失敗したという時に、未来の永遠の大勝利の因をつくることもある。ブラジル(僕たち)は、今こそ立ち上がり、これを大発展、大飛躍の因にして、大前進を開始していくことだ。また、そうしていけるのが信心の一念なんだ。
長い目で見れば、苦労したところ、呻吟(しんぎん、苦しむこと)したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ。今回は、だめでも、いつか、必ず、私は激励に行くからね。
新・人間革命第11巻
「暁光」の章
伸一は、久弘の死(箱根の敗北)は、必ず、深い、何かの意味があると思った。
広宣流布の途上に、さまざまなことがあるのは当然の理である。
しかし、何があっても恐れず、惑わず、信心の眼で一切の事態を深く見つめ、乗り越えていくのが本物の信心である。
広布の道は、長い長い、一歩も引くことのできぬ闘争の連続である。
これを覚悟して「難来るを以て安楽と意得可き(こころうべき、こころえるべき)なり」(御書七五〇ページ)との原理を体得していくのが、大聖人の事の法門であり、学会精神である。
新・人間革命第30巻 誓願の章
「正木君、悲しいだろう。辛いだろう。しかし、使命に生きる君らしく、いかなる悲しみや苦難をも乗り越えて、雄々しき指導者に成長されんことを祈ります」
正木は泣き濡れた。しかし、それは悲哀の涙ではなかった。ほとばしる決意の感涙であった。彼は、苦しみの天地から決然と立ち、勇んで苦学の道を歩み出した。
新・人間革命第1巻 旭日の章
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