どーもー
大宝珠工房の
星野敬児です。
津田さんや宇野さんや古市さんの出してる本をたくさん読みたいな、ってのを今日感じました。
でも、それ以上に池田先生の本をたくさん読みたいなってのがあります。
とりあえず今日読んだところを引用しますね。
~「幸福と平和を創る智慧」より~
~
~「同上」~
難と戦ってこそ、生命の金剛の大境涯はできる。ゆえに大聖人は「難きたるをもって安楽と心えるべきなり」と仰せである
~
この部分がそのまま、座右の指針になりそうなくらい良いフレーズですね。
金剛ってダイヤモンドのことなので、ジュエリーに縁がある俺にぴったり。
俺の人生に困難な課題が出てきたということはすなわち、それと戦えば美しい大ジュエリーの境涯を創ることができるということだ。その境涯さえあれば、そのままその美しさを色んなもので表現して価値に変えることができる。
~「同上」~
~
生命の境涯を変える。ドラクエ的に言えば、自分の命の職業を転職することができる。これができそうで出来ない人類の大いなる課題なわけだが、創価学会員は転職可能なのだ。
しかし、その転職は毎日リセットされるので、毎日転職しなければならないが、そこが勝負のしどころなのかもしれない。
科学でも経済でも政治でも、まだ人の命の職業を転職させることはできない。禅の進化系のマインドフルネスがかなりレベルアップに貢献できる感じではあるが、ユニバースギア(お題目)の根本の職業から変えるくらいの大変革に比べたらその影響は小さいと言える。
いかにユニバースギアといえど一朝一夕で億万長者になることは簡単ではないが、「あの人はすばらしい」「ああいう人間になりたいな」と思われることは、毎日三千遍のお題目を御本尊に唱題するならば可能な気がする。
40分唱題しても昼寝して半日が終わる日もある。しかし、それはなにかしらの気付きを与える御仏智なのだ。例えば、昼寝することでたまっていた疲れを一気にリセットさせたり、昼寝することで家にいたら寝てしまうから外出した方がいいと気づけたり。
安穏であれば、生命のレベルアップはできないのかもしれない。極楽(天国)百年の修行は穢土(地獄)一日の修行におよばないという日蓮大聖人の言葉もある。
イージーモードから得られるものよりスーパーハードモードから得られるものの方が、より大きいのだろう。
思い返せば入院というスーパーハードモードの状況下で、俺は友達とボードゲームを作り、作業療法士とファッションアイテムを作った。
さらに詩を読み、起業を考えた。テーマパークを創ることも考えた。
思えば、今やっていることの萌芽はほとんど入院中に考えたことの延長にあるのかもしれない。
だから、これからもスーパーハードモードになったら、人生の大ジュエリーをゲットできるチャンスだと思ってワクワクしよう。
人間主義のジュエリーデザイナーになるのだ。
人間と人間を結ぶジュエリーを創る。
友情を作っていけるジュエリーを創る。
人間主義の銀遊志神になるのだ。
政治が自分の人生を救うのではない。
生命の職業をクラスチェンジさせて、人間主義の自分を表現しゆく人生に救いの力が宿るのだ。
きっとそうだ。
もっと祈りたい。
もっと表現したい。
ここ二、三日、そのままの自分で生きていくしかないと思っていた。自分のできる範囲の中で、特にレベルアップもせず、クラスチェンジもせず、表現もしたいときにする。
なんとなくの根無し草のような運命に翻弄される人生を選択しようとしていた。
たしかにそれは、安楽かもしれない。しかし堕落だ。
人生には難と戦うことが必要だ。その人生に栄光が宿るのだ。
今日ボクサーのテレビ番組をやっていた。重圧の中で、夜と霧というフランクリンの本を何度も噛み締めながら世界チャンピオンになった。
父に支えられ、子に支えられながら戦って、栄冠をつかんだのだ。
人生からの問いかけに答えていくのが大事だという。
いわんや俺は大仏法を手にしているのだ。
池田先生のように、ボクシング世界チャンピオンよりも輝かしい大栄光を手にする資格があるのだ。
問題はそれを望むか望まないか。
望む覚悟があるかどうかだ。
俺は俺らしい大栄光がほしい。
人生を楽しみたい。
大ジュエリーを創るのだ。
眠くなってきた。
寝る!
ではまた今度
おやすみなさい★