どーもーみんな♪
星野敬児だよ★
Twitterでブログについて色々書いてたら、以下の課題にぶちあたりますた
ほんと、ブログに何書けばいいんだろう。
前に書いた以下の記事では、メンヘラ、創価学会員、ボードゲーマーに向けて記事を書けばいいんじゃないかって結論になった。
「どんなブログにしたいか」今日のメンヘラ学会員のツイートまとめ - 星野敬児の大宝珠工房
リアルの世界で考えればよくわかるけど、だれかれ構わず自分の興味のおもむくままに話してたら、相手はまともに聴かないよね。
自分が話したいことを話す
相手が話したいことを聴く
簡単だろ?
これが会話の基本だって、以前創価学会の先輩にアドバイスもらった。
より深く掘り下げるなら
共通の話題があると話しやすい。相手に興味を持つことで親近感がわく。
人間、興味がないものは話を聴かない。
いきなり仕事の話をする営業マンや、話の流れを無視していきなり勧誘する創価学会員が嫌われてしまうのはこれが原因だ。
できる営業マンは会話の中でニーズを見つける
これは以前テレビ番組で言われていた言葉だが、人間関係やブログにも同じことが言えるよね。
相手との(目に見えない)会話の中でニーズを見つけて話すのだ。
ブログではほとんど読者からアクションはないが、読者にも興味があり、興味のない話は聴きたくないはずだ。
僕の理想にしている文筆家の一人ヒトデさんは、
ブログにおいて、どのようにして読者の興味を理解しているのだろうか。
ちょっと前にも引用させてもらいましたが、またまた引用させていただきます。
こういう引用報告ってした方がいいのだろうか。でも俺程度の底辺ブロガーがいちいち報告とかお恥ずかしい。
閑話休題(本題に戻る)
意識的にではないかもしれないが、ヒトデさんのブログには、読者の興味を引き出す、四つの魔法の特長があることに気がついた。
それによって出来る営業マンのように、読者のニーズを満たしているのだ。
それはズバリこれだ
・文体によってニーズを満たしている
・疑問によってニーズを満たしている
・タイトルによってニーズを満たしている
・共感によってニーズを満たしている
これらのニーズを満たす中で、興味を理解していることに気がついた。
でもさ、稼げば稼ぐだけ不利になるって言うなら、ある程度までいったらもう稼ぐ意味無くない??? って個人的にはおもっちゃうわけよ!!
?(はてな)が三つに、!(ビックリマーク)が二つ。あんたは俺の友達か!!(笑)
なんかヒトデさんのすべての文章に個性があり緩急があり、読みやすい。
この文体を毎回貫いている。
実はこれこそが読者のニーズをつかんだテクニックなのではないかと思う。
例えば、何かの研究論文を読みたいと思っている大学生や社会人の方に対して、このヒトデさんの文体で研究論文を書いたら、正直ひかれると思う(笑)もうちょっとかっちりシャープに文章書け的な意味で怒りを買うかもしれない。
しかし、インターネットに
娯楽とエンターテイメントと
癒しや共感、
そしてスパイス的にお得な情報を知りたいと思っている人にとっては、
このヒトデさんの文体はバッコリと、はまるのではないだろうか?
見ているだけで面白く、勢いがあり、共感したくなるような文体。
仲の良い友達と話しているような文体は、実は文体だけで相手のニーズを満たしているのではないだろうか?
その文体だけで、エンターテイメントをもとめている相手の興味をガッチリつかんでいる。
ヒトデさんが自分の読者というものを想定して、その文体を選んでいるのかどうかは不明だ。しかし、自然体のその姿で、自分の読者の興味に合った文体を使っているのは流石というほかない。
自分ならどうするか
俺のブログも自分が話そうとしている読者の興味にあった文体を選ぼうと思う。
具体的には、メンヘラや社会で苦労している、頑張りたくても頑張れない人に対して文章を書くのだから、なるべく簡潔に、親しみのある文体で、なるべく役に立つ文章を書いていく必要があるかもね。
精神病んでるのに、研究論文のようなかっちりとした文章は疲れるだろうから。
そして、自由に動ける少ない時間を使って読んでくれるからには、内容が充実していた方がいいと思う。
しかもお金と違ってスキルには課税されないですからね!!
(リンクは上に同じ)
こういう名言をはさんでいきたい。たしかに、スキルで自分の価値を高めたらお得!!ってなる。
あとあんまり人をディスるのも、精神衛生上良くないから、それもひかえなければならないかもしれない。
まとめると
自分の文体を、自分が話そうとしている読者にあったものにする必要がある
ということ。
では次
明治おいしい牛乳って、マジでおいしくない??
普通自分に「おいしい」って名前つけるか?? なのにおいしいってやばくない??
疑問文で、まず読者に興味を持ってもらっている。
質問をすることで会話のイニシアチブ(主導権)をとり、その後の話の流れにぐっと引き寄せているのだ。
この疑問文に対するこたえは
「マジでおいしい」
「そう?普通だよ」
「そうでもない」
と色々考えられるが、読者との中に一瞬会話が成立している。
その後さらに「普通自分においしいって名前つけるか??」
と会話を進行させているんだ。
それに対してこたえは
「普通はつけないよね」
「まあつけてもいいんじゃない」
「どゆこと?」
などなど。
あたかも読者と、会話のキャッチボールをする展開がここにある。
ところどころに疑問文をはさむことで、読者の興味を引くことに成功している。
これまた、疑問文によって、エンターテイメント性がほしい読者のニーズを満たしているのだ!
では三つ目の特長
明治おいしい牛乳は何故あんなに美味しいのか
(リンクは上に同じ)
タイトルで読者の興味を引いている。
「たしかに、なんであんなに美味しいんだ?」
と思う人多数である(笑)。
仮に
「おいしい牛乳とか興味ない」
という人も、タイトルで自分とはっきり内容が関係ないことが理解できるので、リピーター読者がなんとなく来て内容が「つまんなかった」という自体を未然にふせげる。
つまりこのタイトルをつけることで、牛乳にちょっとでも関心があるひとの興味を引き、あまり関心がない人をうまくはじいているんだ。
そして、本文で「覚悟が違う」という意外な答えを示していて、面白い記事を読みたかった読者のニーズを満たしているのだ!!
俺もうまくタイトルを使っていこうと思う。
特に「なぜ」という言葉はパワーワードだ。なぜと直接言わないにしろ、読者に疑問や関心を抱かせるタイトルは有効だろう。
では最後、四つ目の特長
彼こそスーパー牛乳カースト最上位。最高の牛乳なのだ
でも高いから今日はまきばの空買うね
(リンクは上に同じ)
明治のおいしい牛乳をもちあげてあげて
からの落とし。
ヒトデさんくらいお金稼いでたらおいしい牛乳買えるでしょ?
という疑問は当然わく人はわくと思うが、そこはヒトデさん。庶民的な心を忘れていない。
おそらく想定する読者が、「そんなにおいしくても高いから買えないよ!」という思いがあることをくんで、この言葉になったのだと思う。
ヒトデさんは庶民ではない。しかし、庶民の心がわかり、庶民を思いやることのできる人だ。
それを最後の文章が表している。
流石である。
芸術である。
以前、イケダハヤトさんが「ブログはアートなんです」と書いていたが、俺は具体的にはどんなブログがアートなんだ?と思っていた。
しかし、今回のヒトデさんのブログを学ぶなかで
「ああ、たしかに。これはアートだ」
と理解した。
この芸術的なまでに読者を理解し、読者に寄り添い、読者を思いやり、関心をとらえ、ニーズをつかみ、そしてそれらをふまえて、適切に表現する。
その結晶がこのブログなのだ。
そしてそのアートに対して、楽しんで、感動し、時に笑い、時に涙し、時間を使い、時にお金を使う。
まさにブログはアートたりえるのだ。
最初の言葉に戻ると
具体的にブログに何を書けばいいんだ?
ということだけど
読者を思いやる心を表現する。
心を表にあらわす。
現代仏教的に言えば
心こそ大切なれ
ということになるだろうか。
何を書くにしても、読者の興味を想像して、読者が興味もてるように思いやって、読者が温かな気持ちになるように文章を構築する。
まさに
文字は心
文字は魂
だね
文字はお金のように価値があるものなのだ。
明日から何を書くか。
僕の想定している読者、メンヘラや創価学会員やボードゲーマーやブロガーの人たちが喜んでくれて、自分も楽しめるようなものを書いていきたい。
よくよく考えたらネタは沢山あるな。
アンテナをはって情報を集め、しゃべりたい人に向けてしゃべる。思いやりの心を持って。端的に言えばそれだけだよね。
内省:この人生をどんなステージにするか。あと下半期の目標。 - 星野敬児の大宝珠工房
ここに書くネタをまとめていたんだった。
これらをふまえて、祈りの中で読者の幸せを祈りつつ、文章を書いていけば、なかなか他にはない芸術作品としてのブログを作れる気がする。
ブロガーとはアーティストなのだ。
いや、アーティストになれるのだ。
ではそろそろこの辺で♪
星野敬児でした★
またねっ