やんでる創価学会員の起死回生の一撃。 なにものでもない僕がなにものかになる記録

今を生きる意味~ボヘミアン・ラプソディーを観た~

昨日遅ればせながらボヘミアンラプソディー見に行った。両親と俺の三人で。無常と、その苦悩を突き抜けて歓喜が爆発する様が印象的な映画だった。成功して金持ちになってやりまくって病気になって若くしてなくなるとは、後世の人に対するメッセージとしては深いものがあった。ただ成功するまでのストーリーはあっさりだったような。

 

もう観た人は、以下のリンク先の方の記事から、映画を振りかえることができる。

 

【クイーン映画ネタバレ感想】ボヘミアンラプソディほか歌詞から物語の見どころを解説


成功するまでは、根拠のない自信をもちながら、今までにやったことのない試みをやってみるという話。どちらかというと成功してからの苦悩の方を沢山描いていた。革新的な試みとして床を踏んで手を叩くみたいな観客が参加できる要素を入れたのは今でも新鮮な発想だった。


他のプレイヤーと関わりが強いことをボードゲームではインタラクションが強いとかいうけど、観客とインタラクションが強いのは、色々な業界で応用できる手法だなと思った。

 

それと父が昔クイーンを聴きまくっていたという話を聞いて、まじかよ!と思った意外と熱いところもあるなと。母もロックが好きなので映画館の大迫力の音響で満足したようだった。俺も久しぶりの映画でさいこーだった。


ただ俺が思ったのは成功した先に、幸せなんてないんだな、ということ。結局病気になって苦しんで死ぬのなら、途中の喜びが絶大なものであってもむなしい。池田哲学では生も歓喜、死も歓喜と言われるが、苦しむ死、あるいは穏やかな死に、なんの歓喜があるのだろう。衰えゆく生になんの歓喜があるのだろう。


しかし、世界は美しい。


世界は永遠に美しいのだろうか。永遠に僕らを魅了し続けてくれるのだろうか。


僕の大好きな家族はいずれ消える。小さなペットの猫さえ、あと20年一緒にいることはできないだろう。


それでも世界は美しいのか。


例えば全てがリセットされて、再び血の雨が降る歴史が繰り返されても、世界は美しいと言えるのか。


例えば永遠の命を、手に入れて、僕の罪深さが許されるときなどくるのだろうか。半世紀前の先祖がやった罪さえ許されてないのに、僕のやった罪深さは許されるのか。


例えば全てが無になって、あらゆるものに意味がなくなって、永遠の無になるとして、それじゃあ今を生きることになんの価値があるのか。


どのような結末を迎えてもむなしい。

 

But you are beautiful(詩)


それでも世界は美しい


それでも未だ見ぬあなたを夢見てる

それでも今いるみんなが大好き


それでも私は生き続けたい


想像もできないような
素敵な未来が来ることを
信じてる


そうか
ならば生きるがいい
世界を愛し続けるがいい
無慈悲な世界を
愛するならば
いつかその愛が
世界を成長させる
かもしれないから


いな
誰かを愛するその
一瞬こそ
まぎれもなく
幸福な世界を
慈悲深い世界を
感じられる
永遠の価値ある
一瞬だから


苦であれ
楽であれ
愛するその一瞬が
永遠を生きる意味になる
一瞬だから

 

生き生きと

生きようか