やんでる創価学会員の起死回生の一撃

青年日記~今の創価学会を強化する~

今日の戦果はこれです。

 

・祈り3時間

・読書30分

・ボードゲーム作り&配信3時間半

 

祈り

今年最後の月はNew Recordの年の締め括りとして、3時間唱題を沢山やっていこうと思っています。祈りの量と質で過去最高新記録を出す予定です。

 

大学受験の時10日くらい3時間唱題をしていた時が過去最高でしょうか。学生部の時、5時間唱題を5日くらいやってた年が過去最高でしょうか。いいえ、今です。今こそ過去最高の時なんです。みたいな。

 

読書

宇野常寛さんのメルマガを二通読んだあと、池田大作先生の本を読んだ。

 

以下宇野常寛さんのメルマガから猪子さんの文章の引用

~引用開始~

1.たとえば僕は好きな国に自由に行けて、自分たちとは全く違う発展をしただろう文明の遺跡とかを見たりできてるわけ。そういう体験があるおかげで、すごくニッチかもしれない表現でも、世界が相手だったら理解してくれる人がどこかにいるんだという実感がある。実は都市部の人というのは、境界がない世界の素晴らしさを無意識に体験していて、だから無自覚だったとしても境界がない方が良いという価値観になっているんだと思うの

 

2.田舎のローカルコミュニティで生きている人は、たとえば海外に行ったりとか、外国の人と知り合ったりする機会とかって少ないのかもしれないと思うんだよ。そういう体験ができるのは、恵まれた環境で生きてきて、経済的にも少し余裕がある一部の人たちだけ。だけどさ、アートって、究極的にはどこにでも持っていける疑似体験装置みたいなものだと思うんだよね。

3.だから、「境界がない世界」を日常では体験できない田舎のローカルコミュニティでしか生きてない人でも、アートを持っていけばそれを疑似体験できると思うんだよ。そして「境界が曖昧なのって超気持ち良いんだな」みたいな体験をすることで、ほんのちょっとでも価値観が変わったら良いなって僕は思ってるんだよね。言語や論理でいくら正しいことを言っても価値観ってものは変わらなくて、実際の体験が価値観を変えると信じてる。

 

4.シンガポールで、シリコンバレーで、そしてロンドンで、現代的な(広義の)情報産業に従事する若いクリエイティブ・クラス(自分で書いていてうんざりする形容だが)は、既に「境界のない世界」のアドバンテージを知っている。しかし、それは世界人口のほんの一握りに過ぎないことも明らかだ。この壁はあまりにも強大で、かんたんには超えられない。少なくとも「正しさ」とか「効率」とか、そういったレベルで語ることではこの壁は超えられない。だからこそ「気持ちよさ」「カッコよさ」を純粋に追求できるアートだけが、この壁を超えられるのだ。

 

5.だから、この絶望と汚物に溢れている世の中で、ギリギリ残る人間の希望的な部分であったり、世界の美しい部分が、アートを通じて見られるような気がするんだよ。 

 

~引用完了~

 

1.に関して。僕も好きな国に行くことができた。バングラデシュへの旅行は、日本と全く違う文化に触れることで、日本にはない新たな可能性の広野があることを僕に教えてくれた。また、あるものごいの少年が、南無妙法蓮華経と唱えることで、ものごいを止めて、近くの女の子を止めて清々しく笑ったあの瞬間は俺の心に今でも焼き付いている。なぜあの瞬間、彼はものごいを止めたのか。何かが彼を満たしたのだろうか。それはわからない。しかし、この日蓮仏法に、現実を大きく変換する力があると証明するには十分な事実だった。

 

世界は広い。世界にはこの仏法を待ってる人が沢山いる。それは想像以上にいるだろう。一瞬祈っただけで、少年の生命力を六道から菩薩界、仏界まで引き上げたこの信仰に力がないわけはない。そして、この唱題行を毎日実践している俺の人生が生きているだけで楽しく、人に貢献できる人生にならないわけがない。そのような人生に必ずなるのだ。

 

満たされた、超気持ちいい、超かっこいいヒーローの人生に必ずなっていくのだ。

 

そのことを気づかせてくれたあの体験は、海外に旅行するというけっこうなお金の余裕がある人でしかできないことなのかもしれない。僕は想像以上に恵まれていた。今でも海外旅行ができない人は沢山いる。海外で自分を変える体験ができない人は沢山いる。決しておごらず、その貴重な体験を人生に活かしていくことが重要だろう。

 

2.に関して。アートは疑似体験装置。信仰もアートなのかもしれない。境界のない世界を体験するためのものはすべてアートに通ずるのかもしれない。また、俺の今作ろうとしているゲーム群もアートの要素を取り入れて、ある意味アートといえる作品にできたら、境界のない世界を作るために一役買えるのではないか。例えば英語を超気持ちよく、超かっこよく習得するゲームとか作れたら、境界のない世界に多くの人を連れていける気がする

 

ところで恵まれた環境に生きてきて、経済的に豊かな人だけがわかる感覚があったって、まんま仏教の歴史に通じるよね。声聞や縁覚や、貴族階級や、菩薩の心を持つ人だけが救われると言われてたことがあった。ここで宇野さんが言ってることは、何百年前に仏教で言ってたことそっくりだ。宇野さんの新たな境地は仏教で開ける気がする。それも民衆宗教になった創価学会の仏法で開けるんじゃないかな。宇野さんが真剣に創価学会の本「法華経の智慧」や「御書の世界」を読んだらどうなるんだろう。興味はあるね。僕も今一度勉強し直してみようかな。新しい発見があるかもしれない。否、あるに違いない。

 

3.に関して。境界のない世界を体験できない人に、「何か」を使って体験できるようにする。その何かが猪子さんと宇野さんにとってはアートなわけだけども、創価学会にとっては信仰なんだよね。

 

信仰も色んな側面があって、南無妙法蓮華経と御本尊に繰り返し唱える瞑想法で直接的に体験できるようにするのも一つの何かだ。

 

また折伏という布教活動で、境界のない世界を作り上げていく中で、自身も境界のない世界を実感していくのも一つの何かだ。

 

あるいは教学という仏教の勉強をする中で、境界のない世界について学び、境界のない世界を作り上げるための地図を手に入れるのも何かの一つかもしれない。

 

他にも座談会(仏教的な発表の場)で境界のない世界の成果を具体的に体験したり、青年大会(仏教的な芸術活動の場)で境界のない世界の具体例を体験したりすることもアートに勝るとも劣らない力を持つ何かの一つと言えるだろう。

 

4.に関して。気持ちよさやかっこよさを純粋に追求できるアートだけがこの壁を越えられるという。今の創価学会に足りないのは、この意味でのアートなのかもしれない。民衆が純粋に気持ちいいと感じられるもの、純粋にかっこいいと感じられること、それらを追求することが創価学会に足りてないのではないだろうか。

 

もちろん祈りや活動で気持ちよくはなれる。しかし、かっこいいと思ってもらうにはまだできることがあるのではないだろうか。また、祈りや活動もやってない人にとっては気持ちよくなれることではない。やってない人も体験できる気持ちのいいアートのようなものを創価学会はもっと増やすべきなんじゃないかな。

 

そうすれば創価学会に入会する人も増えるし、創価学会を支持母体とする公明党の得票数も伸びるだろう。成長が鈍化しているこの状況を打破するために、今こそアートが必要なんじゃないかな。

 

超気持ちいいと感じれるもの、超かっこいいと感じれるもの、それらを追求する流れを創価学会の中に作り出すこと。それが境界のない世界を広げるために、創価学会ができることだ。

 

境界のない世界。それは人が人の温もりを感じられる世界。人が人を信じられる世界。人が人と楽しめる世界。そういう世界のことだ。そこに行けば人はより賢くなれる。より強くなれる。より人と協力し貢献しあえる。そんな世界の扉を開く鍵がアートなんだ。そんな世界そのものが信仰なのかもしれない。濃厚な境界のない世界に入るための、導入としてのアート。

 

日蓮大聖人の御書(お手紙)にもあったはずだ、仏教が広まる前に、礼や音楽が広まると。礼というのは現代の気持ちいいこと、かっこいいこと、アート的な表現だろう。

 

現代では猪子さんのやってるようなデジタルアートやデジタルメディアなんかが力を持っている。逆に写真、詩、音楽、礼などのかっこよさは薄れている気がする。それら薄れているものを再び復活させた方がいいのか、それとも新しい流れに乗った方がいいのか、それは各々(おのおの)が判断することだろう。

 

ちなみに俺はデジタルゲームやアナログゲームを通してアートを作り上げることを、最初のステップにしようと思っている。トークンエコノミーやフィンテックの要素も俺のアートに取り込んで、日本発の境界のない世界を作るアートを作ろうとしている。

 

かっこよくて、気持ちいい。追求してみようじゃないか!青年ならば!

 

5.に関して。汚物にあふれている世界で、人間の希望的な部分、世界の美しい部分。見れるよ。間違いなく。アートを通じて。信仰を通じて。

 

世界はきっと美しい。

 

忘れないで

 

世界は美しい。

 

ボードゲーム作り&配信

ショールームで配信しながらボードゲームを作っていた。

 

コメントが無さすぎてリスナーに切れてしまった。

 

いや、切れるべきは自分がリスナーに気持ちよくて、かっこいい体験を継続的に提供できてないことだろう?と今は思う。

 

美人を見るのは気持ちいい。イケボはかっこいい。これらも一つのアート作品かもしれない。それらのアート能力がない僕は別のところで作り上げなければならない。

 

リスナーに切れてどうする。リスナーは俺の親じゃないんだぞ。パフォーマーなら、パフォーマンスで現状を変えて見せろ。

 

しかし、3時間も配信し、ゲーム作りできたのは丸を自分にあげたい。

 

編集後期

単純な日記以上のことを書いた気がする。やはり昨日の三時間唱題の効果がまだ残っているのかも。これからまた祈って、大前進したい。

 

ではこの辺で(* ̄∇ ̄*)

祈志歩多珠(きしぽたーじゅ)でした★

またね♪